ブックタイトルapollonia_201504
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apollonia_201504
007 2015.04次雄理事長用のユニット。キャビネットは雄一氏が継承した際、35年前に次雄氏が自ら設計したものを一度分解して、元通りに作り直した。医院外観。設計を担当した㈱タクミクレストの鈴木康司社長とは、1974年に行った最初の改装以来の付き合いで、自宅の設計も依頼した間柄。入り口の動線は階段用とエレベーター用の2つに分けた。エレベーターの内部には椅子を置いてある。改装前は、階段を上るのが困難な患者さんは、雄一氏が背負って上がるしかなかった。―次雄先生の代では、どのような診療をしてきましたか。次雄 私は東京医科歯科大学の出身ですが、父の母校であり、兄の川﨑仁が第2保存科の講師をしていたこともあって、中学生のころから大学に遊びに行ったり、教授や医局の先生方が家に遊びに来たりしていました。 1969年の卒業当時はナソロジーが流行しており、私も「オーラルリハビリテーション」の考え方に強い関心を持っていました。 ある時、当時の第2補綴科の石原寿郎教授から「八重洲の金子一芳先生の下で修行するように」と指示され、医局に籍を置きながら、開業の現場で高度な補綴の技術を学ぶことになりました。同時に、歯周病治療を行っていた兄の影響もあり、学生のころから歯周のオペの特訓を受けていたので、歯周補綴がしてみたいと考えました。 卒直後の70年には、歯科技工士と2人で全調節性咬合器とにらめっこをしつつ、何日も徹夜して行ったフルマウスのリハ