ブックタイトルap_tachiyomi_1311
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0102013.11富田 篤氏●とみたあつし 1941年生まれ。日本大学歯学部・大学院歯学研究科卒。1975年トミタ歯科医院開設。スタッフ: 歯科医師4人、歯科衛生士4人、受付2人、歯科助手1人、事務長1人、事務1人ユニット: 5台 文系の国立大学を目指すも浪人し、3年間のアルバイト生活で将来の目標を見失いかけたころ、伯父のアドバイスで目が覚めて歯科医師を目指したという富田篤氏。40年近く地元の神奈川県藤沢市で診療を続ける傍ら、還暦を迎えた年にシンガポールでも開業した。富田氏に治療方針やシンガポールの歯科事情などを聞いた。医師の伯父の勧めで歯科医師の道へ―歯科医師の道に進んだ理由は。富田 高校生のころは、文系の国立大学への進学を考えていましたが、志望校に入れず、浪人しました。勉学に集中するため都内で一人暮らしを始め、昼間は予備校に通い、夜はアルバイトをしていましたが、そのうち予備校通いも疎かになり、アルバイトに精を出すようになりました。 そんな生活をしながら3年が過ぎた夏、突然腹痛に見舞われ、病院へ行くお金もなく、下宿の3畳間で寝て我慢していると高い熱が出て、医師の伯父に頼み込んで診てもらったところ、急性虫垂炎から腹膜炎を起こしており、3カ月入院しました。その後、これまでの生活態度を改めるよう諭され、医師・歯科医師のいずれかになるよう勧められました。 伯父は医師であるだけでなく、戦前に朝神奈川県藤沢市トミタ歯科医院自らの経験を生かし国内外で若い歯科医師を育てる鮮半島にあった京城歯科医学専門学校を卒業しており、両科についてよく知っていました。 その伯父の言葉で目が覚めたのです。いろいろ考えた末、歯科医師になろうと決め、勉強し直して日本大学歯学部に入学しました。卒業後は大学院に進み、その後都内で勤務医を経て1975年に故郷でもある藤沢市の湘南台で開業しました。 湘南台駅は今でこそ小田急線、相模鉄道、