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0122013.02小枝義典氏●こえだよしのり 1960年生まれ。東京歯科大学卒業。スタッフ: 歯科医師2人、歯科衛生士2人ユニット:3台 多くの人が行き交うオフィス街である東京・目黒駅から徒歩1分の所に診療所....

0122013.02小枝義典氏●こえだよしのり 1960年生まれ。東京歯科大学卒業。スタッフ: 歯科医師2人、歯科衛生士2人ユニット:3台 多くの人が行き交うオフィス街である東京・目黒駅から徒歩1分の所に診療所を構える「義典デンタルオフィス」。患者層はサラリーマンが中心で、「何時に来て何時に帰れるか」を気にする人が多いという。訪問歯科診療にも積極的に取り組んでいるという院長の小枝義典氏に、治療の方針などを聞いた。将来の歯科界のためにも患者さんの納得のいく治療を東京都目黒区義典デンタルオフィス敷かれたレールでも走るのは自分自身―歯科医師になった理由は。小枝 父親や親戚が歯科医師で、小さいころから同じ職業に就くよう教育されました。しかし、思春期になると親が決めた進路に反発するようになり、商社マンや広告関係の仕事に憧れました。 それでも結局歯科医師の道を選択したのは、高校時代の友人の影響が大きかったです。高校生ですでに進路を決めて人生設計を立て、目標達成のための勉学や稽古に励むなど、人間的に早熟な友人が多く、歌舞伎役者など家業を継ぐ者も何人かいました。彼らの姿を見ているうちに、「親が敷いたレールであっても、走るのは自分自身」と思うようになり、東京歯科大学への進学を決めました。 大学卒業後は補綴を専攻し、溝上隆夫教授の下で5年間、総義歯の勉強に励みました。総義歯を選んだのは、修練を積みながら勘所をつかまないと技術が向上しないためで、この5年間は自分自身にとって貴重な時間だったと思います。 それからは父親の診療所でしばらく診療した後、そこから直線距離で100m弱の場所に開業しました。いずれ父親がリタイアした際、患者さんの面倒を見ることができる上、近くにいた方がいろいろな面で安