アポロニア21 2012年1月号 page 5/14
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011 2012.02 オープンスペースの診療室。簡単なパーティションを設けたところ、患者さんとスタッフとの会話が増えたという。院内ポスターや患者説明用資料、薬袋、クリスマスカードなどのデザイン・制作は、全て妻が....
011 2012.02 オープンスペースの診療室。簡単なパーティションを設けたところ、患者さんとスタッフとの会話が増えたという。院内ポスターや患者説明用資料、薬袋、クリスマスカードなどのデザイン・制作は、全て妻が担当。閑静な住宅街にある栗家歯科医院。最近、この地域では高齢化が進んでいるという。駐車スペースは4台分。栗家 周りの学生の6、7割は親が医師か歯科医師という環境だったので、入った時点で「自分にはハンディがある」という意識を強く持ちました。歯科医師の子どもであれば、器材や材料の名称には自然になじんでいますからね。 そこで、1年生のうちから診療所にアルバイトに行っていました。―具体的にはどのような仕事をしていたのでしょうか。栗家 技工の手伝いもしましたが、ほとんどは洗い物や片付けです。当時の歯科医院は患者さんがあふれていたので、洗い物は山ほどありました。2、3年になってからはセメントも練れるようになりました。その時の経験から、今でも何をするのにも苦を感じることはありません。 また、現在の診療姿勢の根本は、アルバイト先の院長から学んだことが中心になっていると思っています。―どのような院長だったのですか。栗家 後に横浜市歯科医師会の会長にもなった吉川治良先生ですが、腕が立ち、頭が良くて、人格的にもすばらしい先生でした。常に冷静にものを見ていて、当時から「どうして歯科医師になろうと