口腔機能障害のリハビリテーション臨床マニュアル
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Ⅰ-1「歯があること」と「噛めること」 「目があること」と「見えること」が同じことだと考える人はいない.「耳があること」と「聞こえること」が同じことだと言う人もいないだろう.ところが,歯科では,「歯があること」を「噛めるはずだ」と考えてはいないだろうか. 右ページに示すのは筒井照子の3症例(図1)だが,いずれも欠損歯はわずかで,歯周組織も比較的健全な症例である.Case1-1Aと1Bは,以前担当した歯科医師およびセカンドオピニオンを求めた歯科医師からも「異常はない,噛めるはず」と言われて当惑し,噛めないことを理解してくれる歯科医院を求めて来院した例である.患者の「噛めない」という訴えに,どの歯科医師も耳を傾けなかったようだが,実際はどうだろうか.Case1-1A〜Cのそれぞれの咬合力と咬合力表示面積を見ると,「噛めていない」ことが容易に推測できる. 河村1は,機能的咬合系(functional occlusion system)を構成する3つの要素①歯(歯列),②顎関節,③咀嚼筋は,互いに関連し中枢の神経的統合によって機能することを明らかにした(図2).当然のことながら,①と②と③があるだけでは機能しない.また中枢の神経的統合があっても,①と②と③の調和(バランス)がなければ,うまく機能しない.ここに示した3症例は,「歯は32本あるが,低下した咬合高径と筋の不調和のために噛めなくなった(Case1-1A)」,「骨格性下顎前突に対する治療で幼少期にチンキャップを長期間装着したために重度の顎関節症になり噛めなくなった(Case1-1B)」,「バランスを壊す生活習慣を無視した矯正歯科治療によって噛めなくなった(Case1-1C)」という,それぞれ異なる病態を示す「噛めない」ケースである. では,「歯があること」が「噛めること」でないならば,何を目標に治療すればいいのだろうか.従来の歯科(特に補綴歯科や矯正歯科)では,治療計画の目標を「噛めること(機能回復)」に置かずに「理想的なかたち」に置いてきた.本来,「理想的なかたち」とは,歯と歯列だけではない.咬合,顎関節を含めた下顎位,口腔周囲筋を含めた歯列の嵌合関係が咀嚼筋と調和がとれていてほしい. 矯正歯科治療をするときに,歯列だけを診て「理想的なかたち」に歯を並べると,習慣性の咬合位で咬合関係をつくってしまうことがある.矯正歯科治療で,習慣性の嵌合位(ICP)と中心咬合位(CO)がずれてしまうと,うまく噛めないという問題が起こるとともに,いわゆる不定愁訴の状態を引き起こす可能性がある(Case1-1B,C). なお,今は50歳以上の方を対象とした保険診療の中にも口腔機能低下症の診断・評価があり,口腔機能の取り組みが評価される.101「噛めるはず」

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