OJ20thミーティング抄録集
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はじめに 筆者が大学を卒業した1981年にはインプラントもオールセラミックスもCAD/CAMもない時代だった。40年という時を経て、歯科治療そのものが変化してきたのは言うまでもないであろう。とくに今でも日本の保険診療では矯正、インプラント、審美補綴はできないというのがいまだに続いている状況である。これら3点の歯科のオプションのない状態で、本当の意味での歯科医療を成功させることができるであろうか? 世界中の、そして日本中のほとんどの人がスマートフォンを持っている時代に、いまだに昭和の時代の歯科治療をしていることに違和感を抱かないほうがおかしいと考える。そういった意味では、現在の歯科医院経営でインプラントを臨床に取り入れないということは、今の時代の臨床には相当しないということになるであろう。 インプラントがなかった時代の治療は歯がなくなるとブリッジ、デンチャーという欠損補綴しかなかったが、インプラントを使用することで天然歯を削ることなく、鈎歯にすることなく、安定した支台歯で欠損補綴ができることを、日本中の歯科医師はより理解すべきであると考える。 技術的な変遷最初は骨のある部位 インプラント治療を始めて33年間が経過した。開始当初から現在の状況で治療をしてきたのではない。筆者ももちろん、最初は基本的なところから始めた。 症例1は、筆者が初めてインプラントを埋入した1989年のケースである。最初は骨のある部位に、というのが初心者の状況であろう。このケースは全顎的な補綴治療が必要であったが右側下顎にインプラントを使用することで全体の安定が図れると考えられた。患者は59歳の時点ではパーシャルデンチャーを使用していたが、90歳で亡くなるまで固定式の補綴装置で咀嚼することができた。20略歴1981年 大阪歯科大学卒業1982年 南カリフォルニア大学在籍1984年 奈良県生駒市にて開業日本臨床歯科学会理事、OJ相談役、奈良県歯科医師会学術常務OJ 20th Anniversary 伝統がもたらす革新-我々は何を学び何をすべきか-GBR 症例2は前歯部インプラントのケースである。埋入した時点では頬側に裂開があり、自家骨を使用してGBR を行った。1997年当時、非吸収性メンブレンを用いてピンで留め、メンブレンを動かないように固定すればそのままの形で骨ができることを確認できた。それまでの骨のある部位にインプラントを埋入するという発想が、本来あった骨の形を作ってからインプラントを埋入する治療に変遷してきた。サイナスリフト、ソケットリフト 上顎臼歯部における上顎洞の問題は、日本人にとっては避けては通れない問題である。1990年代までは上顎洞までの距離が6mm以下の場合は側方からアプローチして上顎洞底を挙上し骨を作ってからインプラントを埋入する手法が通常であったが、6mm以下であっても歯槽頂からアプローチするソケットリフトを行って施術すれば、痛みや腫れをともなうことなく治療できるようになった(症例3)。木原敏裕Toshihiro Kihara奈良県開業初期会長講演

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