なせかと考える口腔外科
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187CHAPTER 7「口唇の緩みから生まれた疾患」下顎前突症しまった.その後,特注の靴を履いて歩けるようになったが,この悲惨な経験を経て,彼は医学,とくに再建外科に興味を持つようになった. 1832年,ボルチモアのワシントン医学専門学校を卒業した彼は,22歳で医師の資格を得た.くしくも,このボルチモアの地に世界で最初の歯科医学専門学校が誕生するのは,その8年後の1840年であった.この歯科医学専門学校は,現在のメリーランド大学歯学部に引き継がれている.Hullihenの時代は,歯科医業は現在のように歯科と医科が分かれておらず,一般外科の中に含まれていた.当時は barbar-surgery:床屋外科といわれ,世間からさげすまれていたことから,周囲の医者達は奇異な目で彼を見ていた.Hullihenが得意としたのは,現在の形成外科や口腔外科の領域の疾患治療に一致する. 彼が最初に行った手術は,幼少時に受けた火傷の後遺症により,顎顔面の変形と開咬を伴った下顎前突症の20歳の女性であった.この手術では,まず歯槽部骨切り術で下顎を短縮し,顔面から頸部にわたる瘢痕を除去した.その後,欠損部を有茎の三角筋弁で補填し,下唇をV-Y形成術で改善するものであった.1849年,Hullihenはこの症例をAmerican Journal of Dental Scienceに報告している.これは,Angleが報告した顎変形症手術の50年前にさかのぼる偉業である.驚くことに,この時代は麻酔薬や抗菌薬,さらに精巧な手術器具など一切なかったことだ.おそらくは,短時間で手術を的確フリッヘンSimon P. Hullihen1810-1857

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