ひとつではない、噛める総義歯の姿
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発刊にあたって 世の中にはさまざまな義歯製作法がある。スナップ印象のみで製作する方法や、個人トレーによる精密印象に加えてフェイスボウ・トランスファーまで行う、教育現場でも実践されているような丁寧な方法、そして治療用義歯にフラットテーブルを付与して最終義歯を製作する方法や、咬座印象法によるものなど、多種多様である。 思い起こせば、過去には「自分の作った義歯がいちばん良い義歯だ」と講演者が声高らかに語り、競い合っていた時代があった。そして、決着がつかないまま時代は経過した。その結果、世間には「どれが良い義歯製作方法なのか?」と迷い、現在でも各種のセミナーを受講している歯科医師や歯科技工士が跡を絶たない。 ところが、いささか抵抗を感じるかもしれないが、「作り方は違っていても、熟練した技術で作られた義歯であれば患者さんに受け入れられている」という現実を直視してみれば、どれもが「使える義歯」だということに気づく。自分の主張した、あるいは信じる義歯製作法が、他者を圧倒するほどに優れているとは言い切れないのである。 他方、世界では義歯の優劣を患者満足度で調査する研究が盛んに行われている。そこで興味深いのは、エビデンスピラミッドの中では実践治療報告は中ランクに属し、その一方で義歯の研究論文をPubMedなどで検索してその価値を絞り込むシステマチック・レビューがもっとも高いランクに位置づけられていることである。この報告では、患者満足度に関して義歯製作方法による違いや、リンガライズドオクルージョンとフルバランスドオクルージョンの違いなどがもたらす差はほとんどないという見解が示されている。 この科学者たちの報告から、本書の売りである「1人の患者に対し5人の歯科技工士が義歯を製作する」行為の結果を予測すると、「完成した5組の上下顎総義歯の間に患者満足度の差はほとんどない」ということになる。「そんなはずはない!」と言いたいところだが、科学的データという壁に跳ね返され、反論することが難しい。 しかし、実際の臨床では、顎堤や顎間関係の条件が悪い症例であればあるほど義歯補綴を成功させるためにさまざまな手段が必要となる。そして、そのための「引き出し」を多くもつ術者のほうが患者を満足させることができる。この点については、臨床医のだれもが間違いなく「YES」と答える事実であろう。これらは科学的研究に現れにくい要素だが、それを臨床の事実として捉え、患者の質や条件に合わせた義歯を提供することが患者満足度を向上させるためにたいへん重要な要素であるといえる。 今回ご協力いただいた患者の顎堤は、右側は比較的顎堤面積が得られる状態であり、左側は顎堤吸収が著しく頬側に義歯床を拡大できない難症例である。結果、5人の歯科技工士たちの人工歯配列位置はそれぞれが主張する概念に基づき、左右側で差が現れた。つまり、比較的問題の少ない顎堤では、これまで公開されてきた義歯製作法のどれもが効果を発揮する一方、難症例では義歯を維持安定させるためにさまざまな方法を試みる必要があることが示された。 戸田氏の教育的製作法に近い義歯、生田氏の転覆防止を基本とした義歯、小林氏の邪魔にならない快適さを目指した義歯、小久保氏の下顎吸着義歯を基本とした義歯、そして須山氏のフラットテーブル治療義歯を用いて完成するゲルバー理論に基づいた義歯……これらすべての義歯が、難症例を克服するための多くのヒントを与えてくれる。 本書は、無歯顎の難症例が増加する日本において、総義歯治療のみならずインプラントオーバーデンチヤーなどの臨床にも最大限活用できる書であり、多くの技術を一挙に学べるこれまでにない一冊である。ぜひ、ご愛読願いたい。2013年4月阿部二郎

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